読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

秋の読書欲、山下澄人「しんせかい」保坂和志「地鳴き、小鳥みたいな」

2週間くらい前に本をたくさん買って読みたくなったので、丸善に行った。7冊買い、読みたいのに読めないからその紙袋ごと、どこへ行くにも持ち歩いていたけれど、あまりにも重いので1週間後には2冊を家に置いて出かけた。それでまた1冊置いて歩くようになり、3日前から2冊だけになった。それで今日やっと1冊読み終えたので、明日からは1冊持ち歩くつもりだけどもしかしたら置いておいた本からまた持ち歩く組になってしまう本ができるかもしれない。そもそも家に読みたくて買って数年から数ヶ月経っても読まないである本は沢山あるのだけど、そこからではなくて、たくさん買って読みたくなったので、たくさん買うところからやりたいことだったので、仕方ない。お金持ちではないのに私はワガママなのでたぶん家族は困っているというか慣れているかもしれないけれど、買った。
それで、今日読み終えた本を読んだ人がどこかで、めっちゃ泣くやつ、と書いてあったのだけど、私は1ミリも涙を流さずむしろ最後の方では笑ってしまったりしていたので、何かどこかおかしいのかもしれないと思いつつ、読み終えたので、爽快だ。
山下澄人さんの「しんせかい」は、ずうっと山下さんの声で頭の中に流れた。だからかもしれないけれど、泣かなかったというか、泣いた人はどこらへんで泣いたのかな、と片隅で思いながら読んだけど全くどこで泣いたのかわからなかった。今度会ったら聞いてみよう。誰だったか忘れたけれど。
それで、もう一冊持ち歩いているのは、保坂和志さんの「地鳴き、小鳥みたいな」なのだけど、この後もしかしたら買って置いてきた組の「壁抜けの谷」を読みたいかもしれないし、まだわからないけれど、保坂和志さんのこの「地鳴き、小鳥みたいな」は、初めの「夏、訃報、純愛」の書き始めに「八月十七日だった」とあって、どの本を買うか迷っている時にたまたま開いたらこのページで、買うことに決めたのは、その日は私の誕生日だからだった。
そのことをここにこうして書いたので、この本を買って持っていて私のこの文を読んだ人は、たぶん私の誕生日を覚えてしまうだろう。覚えないか。でもたぶんいつかまたどこかで読んだ時に、あ、これ誰かが誕生日だったと書いてあったな、くらいには思い出すかもしれない。
その時に、私だ、と目の前に現れられたら良いのに。f:id:add-coco:20161116215832j:imagef:id:add-coco:20161116215838j:image

森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して⑥

演じる 体験記

神戸文化ホール中ホールにて、いよいよ、本番が始まる。

お客さんが席に着いたら、私たち出演者は裏から本来の客席側に回って、後ろの方にバラバラに座り、出番を待った。それぞれがそれぞれの震災服を着てリュックを背負ったりの格好で、席に着く。静か〜にして待っていると、山下さんがおもむろに立ち上がり、携帯でみんなのいる光景を、写メを撮ったその音がパシャーパシャーと響いた。いいんだ、そのくらいの感じでいて。私は演劇に関して全くの素人なので、出番前にこんな風に写真を撮る余裕はないけど、こういうの、ありなんだ、と思いながら緊張していた。たぶん山下さんは緊張していないのかもしれない。俳優だからかもしれない。

竹下くんの歌が聞こえてくる「なーにーがーみーえるー?きょうも〜」幕が上がり私たちは、とぼとぼ、ぞろぞろ、と舞台へ向かい階段をあがる。

私は、最初の立ち位置と次の立ち位置を混同して間違えたが、そのままで進めた。堂々としておくのが間違えていないように見せるポイントだ、というのはバンドをやっていた時に学んだことだけど、あらゆるライブで応用できることだ。演劇もライブだ。態度がそのまま伝わる見世物。

みんな、少しずつというか、感じが昨日の本番とは全然、違う。また別の感じで立ち上がってくる。セリフを言う感じも少し違うし、なんならセリフも違う。

自分の順番が来るまでセリフを反芻しておきたかったのに、舞台の上では頭が真っ白になっていてそれすらできなかった。出番だ、となったら口を開いて出てきたことを言うだけ。

見られる立場の自分が、同じ舞台にいるみんなの芝居をジロジロ見たり笑ったりしていいものかわからず、空をじっと見ていることにしたが、時々どうしても笑ってしまった。舞台上にいるとき、どこを見ていたらいいのか、笑っていいものなのか、戸惑う。本筋の人たちは出たり入ったりしているけれど、私たちはずっと舞台の上の片隅にい続けるので、どうしたものか、と思いつつも虚空を見つめたり、演者を見て笑ったりしていた。

見ていて印象的に残った私にとっての名場面いくつか。

政野さんの夫が郵便配達員で、郵便物を箱から捨てたくなるってところは、何度聞いても切なくて胸が苦しくなる。

山下さんが「活断層」って言ったシーン。絶妙だった。活断層という言葉をこんなに響かせて、こんなに笑い取れるのすごいと思った。

ボランティアで歌ってる人として出てきた竹下くんが、相槌打つ風にうなづきながらギターをシャーンと鳴らすところ。イラっときたけど、こういう曖昧なやついるわ〜と妙なリアリティを感じた。

梶原さんのマリー、天然アホアホしいところが面白かった。素朴なのかあざといのかよくわからないフィリピン人だった。マリーに好きだという妙島さんのリョウタは本当に気持ち悪くて情緒不安定そうでアホアホしくて、いいカップルだと思った。前のカップル(竹下&澤田)の最後が、本来は妙島さんが予定していた後ろから抱きつき歌う形で終わってどうするんだろう?と思ったら、すかさず変化させた妙島さん流石だった。

この日の「ムラサキツユクサがね」と入るタイミングが美しかった。中島さんは何回もこのシーンを稽古してきたけど、入るタイミングがこの日完璧だった。山村さんはいつも通りのハイテンションウインクで、そこにさらにかぶせた土師さんのスマップ。誰もが個人として完全に破綻していて滑稽なシーンになっていた。大西さんは、心根が優しいのか気持ち悪いのか微妙な感じで良かった。

酒井くんは、こなれている感じがするけどこの人のことは本当にわからないので、そういう意味で得体の知れない感じ。優しいのかも知れないけれど冷酷なことも平気で出来ちゃって病みそうでもある。風俗の面接をシレッとできちゃうって、すごいなと思う。

山村さんとブッチさんのシーンでは山村さんがブッチさんの様子を見ながら転がしている感じがすごかった。ブッチさんは今回ハマリ役で、頓珍漢なのに強引で強欲なのにチャーミングでクレイジーな親方の役にすごく絶妙なハマり方をしていてとても面白かった。特に「歌えるよ」と言って若さだか元気さをアピールしているつもりなんだろうけど歌った曲がめっちゃ古臭い歌で、しかもいい声で歌い上げるから、とても滑稽で面白かった。

リーさんが「お前とお袋、仲わるいからウサギ買うたんや」ってところ、しみじみとリアルで良かった。

金盗まれたシーンで、村田くんが「わからない」と言った時はジーンときた。クララが立った的な感動(アルプスの少女ハイジのアニメ、嫌いですけどね)

あと松尾さんが「兄貴、なんでこんな奴ら雇ったんすか」っていったセリフによって兄貴のあくどさに深みが増してすごいと思った。悪い奴ってのは障害のある人達ですら利用して儲けようとすることが脳裏に浮かんだからだ。助成金とか貰って。

そして自分のシーン。全く覚えていない。とにかく自分の番はバンジージャンプだ。頭真っ白になって立って、池本さんとの間合いを感じながら口をつく言葉を放つだけ。意図も何もない。十五〜六歳の不思議なもの見ちゃう人っていう設定だけがインプットされている。臆病者のくせに、全身全霊でそこにやっとのことで立っている、それが私の全てだった。それだけのことだった。

終わったら、哀しい音色のトロンボーンと、竹下くんの弾き語る満月の夕に声を合わせて歌う。涙が止まらない。急にホッとしたことと、なんだろう、わからないけど泣いていた。

ありがとうございました、と山下さんが言う。みんなで挨拶をして、はけた。

大したことないたったあれだけのことに神経を集中させて奮いたち絞り出したのでもう完全に決壊していて、楽屋の奥の裏の扉のところ辺りでで、ワーワー声を抑えながら泣いた。何もかも全部出し切るみたいにして泣いた。生まれてきた赤ん坊が新しく空気を吸い始めるために全身で肺の水を吐き出すように、泣いた。

ヘトヘトのヨレヨレになって楽屋に戻るとすぐに講評だ。雄三さんがまず話す。出演者が一人ずつ今日の良かったところをあげていく。清子さんや山下さんや裏方さん見に来てくれた関係者がそれぞれ言う。

舞台としては破綻していなかったし概ね良かったようだった。前日の本番との比較もあったり。良かったところ、昨日の方が良かったところ、どちらもある。

一人、私のシーンが良かったと言ってくれた人がいて、ありがとうございます、と言い少しホッとした気持ちになったけれど、嬉しいとかそういう気持ちには全くならなかったし褒められている気もあまりしなかった。人がどう思ったかと、自分の中身が関係なかった。とにかく私は出て行くまでしんどかったし絞り出したばっかりで放心していたし他者が見てどう思ったかが、あまり気にできなかった。とにかく私によって、めちゃくちゃに壊してしまったりしていなくてよかった。それだけだった。良かったと言われても、実感がないのだ。自分の体感としてはバンジージャンプ。恐怖と勇気と解放感と身を委ねた感覚と疲労感。ヘロヘロのヨレヨレ。

片付けも終わって帰るときに山下さんに声をかけてもらって打ち上げに少しだけお邪魔した。前の日もそうだった。だからというわけじゃないけれど、山下さんの、そのような気にかけてくれ方が、優しくて、ありがたかった。

あと、清子さんやトヨコさん、石田さんたちの裏からのサポートが本当にすごいと思った。ちょっとありえないくらい、真心から動いて支えていた。

森田さんご夫妻といい、山下さんご夫妻といい、このワークショップ周りの人の温かさとかなんなのかな、ちょっと不思議なくらい、奇跡的なくらいに、根底からの優しさが結晶している。すごいなーと思う。

こんな風に現場でどうだったのか反芻できている時点で、もうだいぶ経って回復している。今日でもう二週間たった。実は終わってからしばらく精神分裂症というか、気味くらいだったけど、スカスカのヨレヨレになっていて、一週間くらい戻れなかった。やろうと思ったことと体の動くことがチグハグで、物を落としたり日常生活がちゃんとできなかった。それくらいの出来事だった。私はもしかしたら一度死んだのかもしれないとすら思ったりした。おおげさだけど。

山下さんとか妙島さん松尾さんリーさんみたいに、あんなにありのままで縦横無尽にアドリブで遊べるぐらいの余裕で、スイスイ泳げたら楽しいだろうなあと思う。でも、あの人たちもシンドかったりするのだろうか?全然そんな風には見えないけれど。

本番直前はあんなに怖くてもう絶対に二度とやらないぞ、一人で篭って創作する生活の方が性に合ってるし、絶対に向いていないからもうこれきりにしようと決心したのに、終わって二週間もすると、なんとなく楽しかったような気もするし、またやりたいような気もしてくるし、早く会いたいような気すらする。そんな自分を恐ろしいと思う。喉元過ぎれば熱さ忘れる。たとえ食道に大火傷してたとしても。

関わってくれた皆さん、支えてくれた家族たち、見守ってくれている友人たち

全ての存在に感謝します。

どうもありがとうございました。

 

 

 

 

森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して⑤

演じる 体験記

朝、目が覚めたら四時五十四分だった。

いくらなんでも早すぎるので布団でゴロゴロしていたら、ウトウトしかけてまた目が覚めた。ボンヤリしていたら、こんな風に私のやりたいことを抑圧せずに、むしろ応援してくれている夫の存在が、ものすごくありがたく感じて、あらやだ、私、いつもこうしてサポート受けてきた、と気づき、愛されてる気がした。いつでも、とてつもない優しさに支えられているなあ、と。そしたら、また急に布団が柔らかくて、温かくて、心地よくて、そのことが有り難くって、涙が出てきたら止まらなくなって、もうこの体に私の意識が入って存在していることが嬉しくて、布団が柔らかくて温かくて、号泣していた。嗚咽していた。仮眠室なので、声を上げるわけにはいかなかったけど、布団を頭からかぶって、おいおい泣いた。泣いたら疲れたので、また少し眠りたかったけれど、お風呂にも入りたかったので、起きてお風呂に入り、身支度を整えた。

今日は神戸文化ホール中ホールで、公演。

着くと、すでに楽屋は宴会かのように温まっていて、差し入れをつまんだり、人がワサワサしていた。どうやら別室で、稽古も始まっているようだった。

衣装に着替える。もしかしたらパジャマで避難生活してた人もいたかも、と思って、パジャマのズボンを履くことにしたら上がボーダーの長袖Tシャツだったので、チェックにシマシマという突飛で間抜けな組み合わせになったけど、なんとなく、私の役に、合う気がして、しっくりきた。

参加者に、今日初めて来ました、という人も今日は来ませんという人もいたので、冒頭のシーンのセリフの順番とかを変更して確認した。ついでに、ずっと口に馴染まなかった長いセリフを、私も変更することにした。短くなっただけで少しホッとする。

一つ前の日記に、セリフを覚えられないと書いた。その言葉そのものを覚えられないのではなくて、その言葉を覚えることはできても、意識が全部「覚える」に持っていかれるので、そのセリフがもぬけの殻になってしまうのだ。なので、私はセリフを覚えて言う、が出来ないのだとわかった。それが、徹底的に、できない人なのだ。知ってる。今までだって、いつでも一個のことしかできないで生きてきたから。

それで、稽古中の楽屋に入ると、空気がものすごくピリピリっとしていて、やばかった。や〜、これはマズイな、という予感しかしなかった。なんとかフラットに戻そうと自分で意識してみてもダメだった。雄三さんの顔を見ても怖いだけだった。やーこれどうしよう出て行こうかな、と思うくらいだった。そうこうしているうちに、順番が来て、はい、言って自分のセリフ、と言われて立った時に、あーもうダメだ、と思ったら案の定「全然ダメ」って言われて、なんかよくわからないけど「あなたへたっぴなのに、その下手さを人のせいにして、だから嫌われるのよ」とか言われ、全く意味不明でピンとこないけど苦笑するしかなくて、でも実際ダメだったので、仕方なかった。この時のこの部屋の空気は「不穏」としか言いようがなかった。で、程なく、休憩ねって解散したんだけど、もう全然ダメで気持ちがどん底行きの特急に乗ってしまっていた。

私は何でも真に受けるし、人の言葉が予想外に響く。

この時の脳内は「私はダメだ。やっぱりダメだ。」がエンドレスでリピートし、エコーがかかっていた。とにかく逃げたかったし、向いてないし、どうしてこんなとこに来ちゃったんだろう、もう絶対にやめるし、これで最後にしよう。と固く決心した。

発達障害という言葉は最近よく聞くようになったけど、自分が子供の頃には、その言葉はなかったので発達障害の人もいなかった。だから、私は、ずっと自分は普通だと思って生きてきた。でも、その最近よく聞く「発達障害」の本をちょっと見たら、私のことが丸ごと書いてあった。それでもしばらくは「発達障害の人」になると差別されたり偏見を持たれるかもと思って、ずっと自分でそのことを認めないと決めて生きてきた。だけど、やっぱり理解されにくくてしんどい時に、その言葉を出すと、少し伝わることもあるので、時々、そうなんです、って言ったりもするようになった。人は誰でも大なり小なりそういう傾向があって、それによってどれだけ困りごとがあるかどうかで申告したりしなかったりしているだけだと思う。

演劇って私みたいな発達障害の人には、向かない、ってこのときすごく強く思った。

状況としてしんどすぎるから。「ダメ」に弱い。ダメな自分を知りすぎているから。死にたくなるところまで行った。ダメだ、できない、死にたい。自分で足を運んで参加しているのに、こういう状態になる。やばい、なんとかしなくちゃ、これから本番なのに。

とにかく自分をリラックスさせるためにゴロゴロして、脳内の自己否定を治めたかったのに全然できなくて泣いた。もちろん誰とも話せないし、誰とも話したくないし、全てを放り投げて帰りたかったけど、そんなこと、自分にはできないのもわかっていたから、もう絶対これで最後だと言い聞かせて、なんとか頑張って、自分を本番に向かわせようとしていた。怖い、大丈夫、死ぬよりマシ、死んだほうが楽かも、どうしてこんなことしているの?しんどいなら辞めたらいいのに、やだ、帰る、大丈夫。

そんな風に一人で格闘しててもお腹は減る。楽屋で、差し入れのお弁当を無言で食べる。食べても、全然、ダメなままだった。本番までかなり時間があったのに、ずっとそうやってまた脳内の「ダメ」と闘っては泣いた。

いよいよ時間が来た。客入り始まりましたーと言われ、ああもうダメだ何もかもどうにもできない、と立ち上がって振り返ると、雄三さんがそこにいて「あなたは十五〜六才なのね、不思議なものを見ちゃうの、それそのままでいいから、声も張ろうとしなくていいから。」と声をかけてくれた。そうか私は十五〜六才で、ふわふわしてて、不思議なものを見ちゃう人なのか、声は張らなくていい。この瞬間に、脳内の「ダメだ」が切り替わった。はい、ありがとうございます、と言って、ぞろぞろと舞台裏に向かう人たちについて行った。

 

森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して④

演じる 体験記

公演初日は、朝十時から稽古だった。朝七時半の電車に乗るために七時に家を出た。

昨日の稽古で、最後にソウルフラワーユニオンの「満月の夕」を歌って終わることを知って、動画を漁ったら、阪神淡路大震災直後の様子が映っていたので何度も何度も見て何度も何度も歌を聴いて、歌った。夜中に。

しばらくすると、二階で眠る家族から「もう少し音を下げてください」とさすがにメールで言われた深夜2時。緊張で脳が興奮して眠れず、明け方近くまで延々と満月の夕を聞き歌ってやっと寝た。

私が知っている震災は焼け跡ではなく、津波に飲み込まれた後の泥地だ。

 

あの日、右ひじ骨折で入院していた私は、家にはないテレビを病室で見るのをとても楽しみにしていて、特に徹子の部屋電気グルーヴピエール瀧が出ると知っていたのでかなりワクワクしながらテレビカードを購入して準備していた。

だけど、そのテレビで見たのは、育った東北の見なれた場所が、友達の実家付近が、どす黒い水の壁にひたすら飲み込まれていく映像だった。淡々と何にも屈せずにひたすら田んぼやトラックや家や人や犬を塗りつぶしていく泥水を、ずーっと、じーっと見ていた。目をそらしたかったけど、衝撃が強すぎて、私も飲み込まれたかのように画面に見入っていた。

 

焼け跡を想う。冷たくて乾いた風が、吹きっさらしただろう。

焚き火を囲み、とてつもない寂しさとホッとする温かさと底のない不安と力強さと喋ったろう。

 

私は阪神大震災を、ほとんど知らない。そんな私が今回の公演に立っていいものか、何度か自問した。関西弁でもない。でも私みたいなよそ者も、きっと一緒に、一瞬で亡くなったり生き残ったりした中に居ただろう。

 

私と池本さんのシーンで描くものは何なんだろう?

池本さんは震えながら保険金の話をする

それを聞いてるけど聞いてない私は自分が見た不思議な体験のことを話す

 

森田さん「こういう人たちってのは、震災で真っ先に、潰されちゃうのね、繊細なわけ。」

 

なるほど。

冒頭の山下さんが考えたセリフを自分も言うことになっているのに、いつまでたっても口に馴染まない。

自分が「セリフを覚えられない人」だってこと、この時まで知らなかった。

 

初日、全部通しで、ざっとリハーサル。

照明、暗転、入り方、切り替わり方、立ち位置、終わり方。

本筋に出る、妙島さんは、今日から稽古入りだ。

すごい勢いで流れを把握して、すごい速さでそのシーンがグングン仕上がっていく。

 

絶妙な配役で、絶妙な言い回しで、絶妙なやり取りが続く。

舞台の上に出ているのに思わず見入ってしまう。

でもまだ全部のちゃんとした通しは、本番まで一度も見られないまま、リハーサルは終わる。

 

不安しかない。自信なんて一ミリもない。

セリフも、その時々の立ち位置も、うろ覚えだ。

それでも、もう、今から退くわけにはいかない。

怖い。

 

お客さんが入る。

 

とにかく自分の中の自己否定とか緊張とかを体の中から追い出すために思いのままに体を動かす。声を出す。体の隅々にまで意識が届くように意図する。そういう技術がある。たまたま私は習ったことがあったからそれを試した。

 

本番。

みんなの動きに言葉にいちいち釘付けになる。

今まで見たことのなかったものが湯気のように立ち上る。

私も?この中にいて順番が来る。

はっきり言って、バンジージャンプだ。

しかも目隠しして、どこだか分からない先に、身を預けるようにして、一歩出る。

 

正直、自分のことを、何も覚えていない。

私がなんて言ったのか、全く覚えていない。

照明の中で、真っ白になる。

本当に、頭の中も目の前も、真っ白だ。

 

ただ、神様って言っちゃったのは覚えていた。

一瞬、戸惑って、エイ、と放ったから。

 

最後の満月の夕は一緒に歌った。何回も見たあの焼け跡を包むようにおどす風に吹かれて、あの歌で、うっかり、ようやく、泣いちゃった人だった、私。

 

他の演劇公演のことは知らないけれど、森田さんのこのワークショップでは、本番の直後に、控え室で全員が輪になって、講評というかダメ出しというか、森田さんや清子さんやスタッフやお客さんが、今のがどうだったかってことを即座に解体して、解説というか、どこがどう良くてどこがどうダメか、を率直に参加者全員に話してくれる。

 

前回も思ったことだけど、これがとても新鮮だった。

講評なんて、受験生や大学生だった頃のデッサンとか課題以来だ。

しかも直後に。

さっきまでワーワーやってて、泣いて終わって、ふへーと息つく間もなく。

すごいことだなあと思う。

ホヤホヤのまま、感想というか出来がどうだったのかを聞けるって、ここ10年であまり無かったことだ。

 

ただ「神さま」って言っちゃダメなのね、わかる?

それを言わないで、描こうとしてることがあるのね、わかる?

 

頭は真っ白だったけど、それを言っちゃあおしまいよって言葉だったというのは、放つ時に一瞬戸惑ったから自分でも、わかったので、明日は言わない。

 

ヘトヘトになってヨレヨレになって、珍しくすんごい感じの悪い店員のいる中華屋で美味しいもの食べて、アクアハウス神戸の温泉に入って仮眠室でぐっすり眠った。

 

明日はもっと大きなホールで、公演だ。

 


満月の夕(07)

 

 

 

 

森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して③

演じる 体験記

そういえば、今回のワークショップに参加したら、前回のワークショップに参加していた人に「葉月ちゃん、怒って泣いてたもんなあ」と言われたので驚いたのだけど、前回のワークショップの終わりに涙が止まらなくなったのは、怒ってたからでは全くない。そのことは、このブログの過去記事を読んでもらえばわかることなのだけど、私のことをそう思っていた人は、これを読んでいないのだろうし、あの時の私がその人にはそう見えていたということなだけなので「怒ってないっすよ」というだけだった。それでも「怒ってたやん、泣いてたやん」と言われたので、もうその人にとってはそれが事実なのだろうからそれ以上訂正しなかった。

こういう誤解のされ方をした時に、まあいーや、と面倒がってしまうようになっている自分がいるなあと思う。若い頃は、理解して欲しくて、食いさがったりしていたけど、理解して欲しい人にはしてもらっていると思っているので全員にそう求めることはなくなった。

でも、ちょっとモヤっとする。

もう一つそういうことがあった。

居酒屋でウーロン茶しか飲まない山下さんを見て「意外」と言ったらサラッと「人は見かけじゃないです」って言われて、とっさに何も言えなくなって黙った。私くらいの年齢で人を見かけで判断しまくってたとしたら、相当やばいと思う。そうじゃなくて、私は山下さんが「むかし相当ワルだった」と聞いていたので酒タバコくらいは当然やっていると思っていたのだ。まあこれも偏見っちゃあ偏見だけど。

でも、人を見た目で判断していたわけではない。中学生の時、ワルぶっている先輩たちのステキなところを見つけて愛でたりしていたくらいだから、筋金入りの、見た目で判断しないようにしている人だ。自分で言うのもなんだけど、そこにはちょっと自信がある。というより、見た目には現れにくいようなその人の芯に輝く部分を見出そうとする変態なのでというかそういう自分ではどうしようもないくらいの癖があったので、逆にそのせいで、困ったこともたくさん起きた。

そんななので、一瞬で起きるそういう誤解を解くにはたくさんしゃべらなくちゃいけないから、面倒で黙ってしまったのだった。

 

基本的に、人は、自分の見たいものを世界に見ている。

 

もしかしたら、これらの出来事だって「私の本当のことは誰にも理解されない。理解されることは困難だ」と私がどこかで思い込んでいるから起きてしまっている出来事なのかもしれないし。そこは検証してみないとわからないけれど、自分の中に種があると自覚するだけで、誰かや何かのせいにすることはなくなる。

 

さて、本題に戻る。

22日金曜日、できれば震災時の衣装を各自で用意して持ってきて、と言われていたので大きめのリュックに祖母にもらった半纏や暖かい靴下、マフラー、ニット帽、水筒、サンダル、を放り込み電車に乗り込んだ。すると、途中で携帯から今まで聞いたことのないような音がビービー鳴った。緊急地震速報だった。鳥取震度6くらい、結構各地が大きく揺れた。電車は何事もなく走っていて普通に揺れていたので気付かなかったけれど、滅多に揺れない京都も大きめに揺れたと友人たちがザワついていたようだった。地震で揺れるには、この日の私はふさわしすぎて、ちょっとドキッとした。まるでそのために準備してきたかのようなグッズが全て揃っている。携帯の充電もポケットWiFiの充電もノートPCの充電も全て満タンだし。鳥取に越した友人にメールして、このまま被災したりしませんようにと思いながら電車に揺られた2時間半。

 

今日は着いたら、もう明日の本番の舞台裏での稽古だった。

 

どこにどのシーンを持っていくのか、組み合わせるのかを、やりながら決めていく。

あーた、へたっぴなのに、はじめにに出てくるのよね〜、やめろとは言ってないよ、と言われ、ちょっと間をおくことにした。

別に自信があるからとか前に前に出ようとして、はじめに出て行っていたわけではない。

なかなか最初って出にくいものかな、と思ってちょっと頑張って勇気を出してはじめに出て行ってたのだけど、そういう「力み」すら不要ってことなのだ。これは頑張っちゃう自分の癖。頑張らなくっていい。そのままでいい。不必要な「力み」は歪みを生む。

 

自分が言うセリフは自分の中から出てきたもの

まだ説明しようとしてしまう私がいた

 

山下さんから出てきた、言葉やその語順を、尊重してみてほしいと清子さんが稽古のおしまいに言う。

 

じゃあそれぞれで選んでそのセリフを言うことにしてみよう

と各自で選んだ言葉と順番を覚えてくることに

 

帰り道、ずっと暗唱した。

関西弁育ちではない私に、その言葉をどう発したらいいのか

何度も何度も口に出してみる。

笑ってしまうほどの悲惨さを前に、本当に笑ってしまうために言う

自分がいいなと思って選んだセリフ、自分が覚えるのには、長かった。

覚えても覚えても、何か違うな、って自分でも思う。

でも何をどうしたら良くなるのかも、全然、わからなくて

とにかくいろんな言い方で口に出してみた。

わりと大きな声で、夜中に、誰もいない帰り道を、自転車に乗って

ずーっとセリフを繰り返していたら

猛スピードでチャリが追いかけてきて

「気持ち悪いんじゃ!!ボケ!!アホ!!キチガイが!気持ち悪っ!!」

と怒鳴りながら、私を猛ダッシュで抜いて叫びながら、走って行った。

あなたのその急にキレる振る舞いの方が、よっぽど狂ってるよ、と思いながら静かに自転車をこいだ。

 

f:id:add-coco:20161102215618j:plain

森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して②

演じる 体験記

一つ前のを書いていから少しずつ色々と思い出してきた。

公演終了して一週間が経ちつつあるけれど、ようやく日常生活がふつうに送れる程度に心身が整いつつある。そのことは後でまた書くとして、ワークショップ参加一日目のことを書こう。

 

一日目は三時過ぎに会場に着いた。さ、何か言ってみて、といういつもの感じで、わりとすぐに順番が回ってきた。震災のこと。私は阪神淡路大震災の時は高校3年生で仙台で受験生だったので体験談がない。なので311東日本大震災の時のことを話そうとしたのだけど「ごちゃごちゃ言わないの」的なことを言われたのですぐに口をつぐんだ。

311のあの日、私は入院していた。二月二十六日、母に誘われて家族で行った丸の内のスケートリングで調子に乗って転倒し、右肘を複雑骨折した。その手術が三月十日だったのだ。朦朧とする中、麻酔が切れて、眠れるかな、とウトウトしかけた時、大きく横に揺れた。これが私の被災者体験だった。

 

「そうじゃなくて、自分が一番しんどかった時のことを、笑いながら話して」という森田さん。順番が回ってきて私は「こないだ全然知らない役所から手紙が届いて、自分トコのでもないし、なんやろ?思って開けたら、父親が、生活保護申請しました、っていう手紙で。ずっと死んだと思って30年、生きてきたのに。しかも生活保護って。」と言った。

 

言った後に、こういうことさえも無駄にならずに活かせるってこと、あるんだな、と思う。なかなか悪くない人生かもしれない。

 

そうこうして、ぐるりと順番が回ってきたり、休憩して差し入れをつまんだりしているうちに、夜になっていった。少しずつ、組み合わせができてきて、少しずつ本番に向けてシーンが組み上がっていく。

合間で「あなた、霊感あるでしょ」と言われる。こうやって森田さんは時々、核心を突くようなことを言ってくる、無防備に。

視えるとかではないけど、感じることが強すぎて、実際それ系のことに人生が振り回されそうになっていたこともあった。でもそんなこと、あまり誰にも話さない。話したところで、共有できる、理解される、とも思っていないから。

それにそのことは、私と「そのこと」との間に絶対的な秘密関係を結んでいて、それは圧倒的に孤独だけれど完璧だし美しくって、他の人には関係ない。自分自身との相思相愛のようなものかもしれないけれど。

森田さんは、脳腫瘍になってそれから霊感が働くようになったという。そういうことはある、何かがきっかけで回路が開いてしまうこと。本当は誰もが皆その回路を持っているのだけど、大抵使われずに閉じていたり錆びていたりするだけだと私は思っているけれど。

 

はい、まだ自分の出番決まってない人。はい、あなたとあなた、はい立って、なんか言ってみて。

「あなた、子供みたいなのね、純粋っていうかね、そういうとこ出して。UFOでもなんでもいいや、なんか見たって言って」

とっさに言われても、そんな不思議体験を人に言ったことなんてほとんどない。

あのことを言ってみようと思ったけど「ダメ、全然、当たり前なのねあなたにとってそういうことは。だから、言おうとしなくていいのその中に居るそのままで言ってみて。」と言われる。

 

聾唖の青年である村田くんに「しゃべって」という。その喋ろうとする、言おうとすることを、やってと言う。声帯を震わせて伝えようとすることを長らくしようとしてこなかったでしょう?でもあなた話せると思ってるから、はい、言って。もっと大きく。

 

これは一見、無茶なことを強いているように見えるかもしれないけれど、そうじゃないのだ。

森田さんは、村田くんと私は似てるところがあると言う。

私もそう思うところがある。

何かな、って考えてたけど、人にわかってもらおう理解してもらおうっていうところの初歩的な段に、絶望的な諦めがあるところが、もしかしたら似ているんじゃないかな。

彼は声帯を閉じることで

私は必要以上に言葉を重ねることで

違うアプローチを試みた。

本当は、そのままで、良かったのに。

 

村田くんに喋れということと、私に不思議なものを視ちゃう人のままで何か言えってことは、実は同じことをやらせようとしている気がした。

そのことがわかった瞬間があって、涙が滲んだ。

これはもしかしたワークショップ二日目の金曜日の出来事だったかもしれない。

本当に何なのかなあ、このワークショップ。

一日参加するとドッと疲れたけど、どこかでそれを歓迎している自分もいて

長い距離、電車を乗り継ぎ乗り継ぎして噛み締めながら帰った。

 

f:id:add-coco:20161030181057j:plain

森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して①

演じる 体験記

維新派を見たあと、親友の妹カップルが堺に住んでいるのでそこに泊まる、はづきも一緒に行こ〜というので、家族に確認すると、泊まっていいし、そこから直接翌日の演劇ワークショップに参加してきていいというので、そうすることにした。オットは今超絶多忙だし、家計は火の車だというのに信じられないくらい寛容だ。多分、ちょっと頭がおかしいのだろう。私と暮らしているうちにちょっとずつ狂ってきたか、元々そうだったのか、知らないけど。

 

親友も私も昔から、時間の計算が下手で、二人でよく待ち合わせをしてはお互いに遅刻してお互いに間に合っていた。もう一人、待ち合わせたら、その人だけが待つことになるので、しんどかったろうと思う。中学からの、もう一人仲良しがいたけど、いつの間にかその子とは会わなくなってしまった。仲違いしたわけでもないし、理由なんてない。

いつものように飛行機ギリギリになった親友をみんなで走って駅まで送り、親友の妹と彼氏のフランス人とぶらぶら堺を案内してもらいながら歩き、老舗の極上お線香やさんにて完全天然香料だけの沈香というお線香を買って、今回の演劇ワークショップの会場である「北神区民センター」へと向かった。

関東に住んでいた頃は「京都大阪奈良神戸」なんて団子みたいにくっついてるから全部が近くて、あちこち行けると思っていたんだけど、大間違いだったと知っていたけど前日からの移動距離が結構なことになっている。

京都から奈良は1時間半、奈良から堺は1時間半、堺から北神は2時間、北神から京都の自宅まで2時間半。

はるばる電車を乗り継いで乗り継いで、電車の中で目の前に座っているかわいい女子高生とその隣に白いジャージの私服ヤンキーではない男性カップルを見たときに「ずいぶん田舎に来たなあ」と思った。

 

こんな遠くまで来て、今回の演劇ワークショップの現場がどうなっているかも知らずに私は何をしてるんだろう?と思いながらも、駅を降りて軽くストレッチをしながら会場へと歩く。降りた駅には目の前にイオンの複合レジャー兼買い物施設以外、何もなさそうな場所だった。

 

部屋に入る、輪の中に入る。雄三さんは私のことを忘れていたみたいで「あなた初めて?」と言われたけど首を横に振ったら「あ!思い出した!」とすぐに言った。

すぐに休憩になって、慣れない場所で、慣れない人たちの中で、差し入れてもらった海苔巻きをいただく。前回のワークショップで出会った人たちも複数いた。東京からの参加者も夕方になって着いた。

ああ、だめだ、初日のことはこれ以上思い出せない。

でも多分、ほとんど見ていたし、大したことは何もできなくて、休憩になっては差し入れを頬張り、夜になって電車で乗り換え乗り換えして、帰った。

最寄りの駅から自宅までの道が、深夜、公園沿いの真っ暗で、心細かった。

 

f:id:add-coco:20161027180116j:plain

 

突然のカンゲキ

沖縄に住む親友が、急に関西に来るという連絡が来た。

彼女とは中学高校が一緒で、私にとって唯一と言っても大げさではないくらい心の通じ合う仲だ。

結婚した時もほぼ同時で、電話でお互いにびっくりしたし、妊娠した時もほぼ同じタイミングで、予定日が当初同じだったのには鳥肌がたったし、爆笑した。

聞くと「維新派の最後の公演を見に行く」のだと言う。

維新派は私の周りの人からも「絶対に一度は観に行ったほうがいい」と言われていたのに、また今度行けばいいやと思って見送っていた。最近になって、主催の方が亡くなってしまわれたので今回限りで解散するのだという話は耳にしていた。

沖縄からはるばる親友が来る&奈良の平城京跡で維新派最後の公演。

本当はこの日から神戸で開かれている「森田雄三ワークショップ」に参加するつもりでいたのだけど、こんな「レア」が重なることも稀なので、親友に会いに、維新派の公演に向かうことにした。

 

奈良って、どうしてあんなにのどかなんだろう?

昔、けっこうな都だったはずなのに、全くその気配がない。

超田舎だし、観光で儲かってるふうでもない。

雄大っぽい空気がたゆたっている。

まだこれで二度目だったけれど、京都から訪ねる奈良には「大物感」が漂っている気がした。

 

会場について親友と再会し、先にたまたま着いていた友人と当日券の列に並んだ。

手作りのあばら屋台がぐるりとまあるく空間を囲んでいて、その隣に大きな舞台がそびえ立っていた。

 

そのまあるい屋台村には色々なごはん屋さんだったり雑貨だったりが売られていて、青空バーバーもあった。真ん中には空中ブランコの装置みたいなのがあって、全体的にできそこないのサーカスっぽい空気が漂う。

土の上に、板がぶっきらぼうに置いてあって、それをみんなベンチにして座っている。

呑んだくれから幼な子まで、のびのびとした空気で遊んでいる。

私も親友も、こういう感じが大好きなので、異国っぽくもあり、ちょっと興奮した。

私は私で京都の知り合いと何人も会うし、親友は親友で沖縄の友人と何人も会っていた。どれも偶然だ。

沖縄で野猿のような3人の男の子を育てている親友と、お年頃の娘とまだ無邪気な息子のいる私たちが大人二人だけで会うのなんて、もういつぶりなのか?全く思い出せなかったけど、私たちは中学生の頃のようになんでもないことを喋っては、笑って、何の違和感もなく、奈良の野原にぽっかりとできた、混沌の輪の中にいた。

 

隣にそびえ立つ、大きな鉄筋の骨組みでできた会場へ階段を登っていく。

当日券な私たちは、一番後ろの一番高い場所から船底のような舞台を見下ろす席。

客席も舞台もその向こう側の野原も、全てが見えた。

初めて観た維新派の印象は「音楽がすこぶる素晴らしい」のと「ダイナミックな舞台がかっこいい」のと「きっちり計算されまくりまくった人たちの動きの凄さ」という感じ。あと、最後の方で舞台の向こうにライトアップされた野原が金色に輝いていて、黄泉の国っぽかったのがすごく美しかった。

親友と一緒に沖縄から来ていた元維新派のスタッフだったという方は、最後のシーンで「おーい!」「そこはどこですか?」「こんど、いつ会えますか?」などと演者たちが全員で口々に呼びかけるシーンがあるのだけど、そこで号泣したと見終わってから言っていた。私は、維新派を主催してきた松本雄吉さんのことを全く存じ上げないので、そのシーンを見ていた時も、松本さんという死者に向かって呼びかけていると全く思っていなかったけれど、そう聞いたら、そうかそういうシーンだったのかもしれないと、やっと思った。私は松本さんを知らないで生きてきたので、喪失感がないまま見終えてしまったというか、見ている間、この主催者が亡くなっていたことも忘れていたくらいだった。なので、そのように聞いた時、ハッとした。

 

不思議な擬音語のようなセリフと、打ち込みに乗せてくる即興の音と、規則的な人の動き。

 

はっきり言って、よくわからなかった。だけど音がすごく良くて、セリフすら音楽の一部で、動きはそれら一連の音楽に乗せた走馬灯のようで、舞台や観客席含め、壮大な夢みたいだった。

泣いたり感傷的になることは一切なかった私だけど、舞台の向こう側に金色の野原が光った時には、目を奪われたし、この瞬間だけ共有できていたら、いいような気さえした。

 

観終えて、階段を降りると、そこは手作り感あふれまくる屋台がまあるく建っていて、うろうろ見て歩くだけでも、楽しかったし酔っ払いそうだった。

 

帰り道、親友とやっぱりどうでもいい話とか最近のお互いの状況とか話しながら、くだらないことで、ずーっと笑いあって、ライトアップされている平城京にどこまで近づけるんだろね?と見に行ってみたらものすごい無防備に、建っていて、周りは野っ原で、いいのー?まじかー?なんでー?と言いながらすごく近くまで行って、最後の門をよく見たら鍵がしてなくて、えー!ってなって、無防備すぎでしょ!開けちゃうよ?なんてふざけていたら、親友が警備会社のシールを見つけて、そりゃそーだ、と開けずにそっと立ち去った。

帰りに、電車のホームで親友が「ポテト食べたい!」と突然言い出したのでそのホームにあったロッテリアでバケツポテトとドリンク2つがセットになったものを頼み、二人でだらしなく食べながら「うちら40でこんななんて、全然何も変わんないねー」と笑った。中学生かよ、と自分でも思う。同級生たちはきっとこんな風に一緒にポテトなんて食べてくれないよね、と言うので、そうかな?みんな変わってなかったよ?と思ったけど、こんな風にだらしなくなんてポテトを一緒に食べてはくれないだろうな、と私も思ったので、確かにうちらだけかもね〜と笑って二人ふたり電車に揺られていった。

 

f:id:add-coco:20161027155719j:plainf:id:add-coco:20161027160841j:plain

f:id:add-coco:20161027160852j:plain

f:id:add-coco:20161027155730j:plain

f:id:add-coco:20161027155741j:plain

f:id:add-coco:20161027155755j:plain

f:id:add-coco:20161027155809j:plain

f:id:add-coco:20161027164652j:plain

 

 

 

広告を非表示にする

「森田雄三の演劇ワークショップ」に参加して④

体験記 演じる
入り口で丸裸になって、そこから先のことを書こう思っていたけど、とうてい説明できるようなことではないや、と今あきらめることにした。

このワークショップには、どうやら様々な人が参加していて、神戸で20年も続けてきたそうで、はるばる遠くからこのためだけに訪ねて来る人もいた。多種多様としか言いようがない。

でも本当に不思議な気持ちになる。絵を描く時に絵の具で面を触るような、鮮やかな心地よい感触があるわけでもなくて。次に前へ出て何を指示されるのかも、されないのかもわからなくて、自分が放つ台詞すら自分でも全くわからない。不安と興味が同時にあって、緊張と興奮も同時にある。
なぜ、私はこれに参加しているのか、なぜ皆はこれに参加しているのか、全然わからない。そのまま、4日目の発表会という小さな本番を迎える。

人は褒められれば嬉しいし
酷評されればその時は凹むだろう。
でも酷評という反応すら実は得難い収穫だというのも今はよくわかる。

全部はうまく書けないけれど、書けないなりに印象に残ったことを記しておく。

山下澄人さんは、思っていたよりも、ずっと大きな人だった。

この方はなんて天真爛漫というか太陽みたいに底抜けに明るくて誰にでも等しく優しく気にかけていて、すごく素敵だなと思って話していたら、森田雄三さんの奥さんでもありプロデューサーでもある森田清子さんだった。

リハーサルでMさんが、本当は「亡き夫の人格の象徴」としての芝居をする場面で「僕も、愛しているよ」という直前の歌に直接返事してしまうような台詞を言った時、そして全員で大爆笑して「ほら、本当にわかってないからね、この人」「違うの、そうじゃなくて」と森田さんが言ってまたやり直したら、全く同じ台詞を言った時に、爆笑しかけたけれど、笑えなくなった。頭の中に保坂和志さんの「彫られた文字」の中の冒頭部「わからない人は本当にわからないのであって」というようなところの一節が脳内を駆け巡った。これだ、マジでこのことだ、と思った。

山下澄人さんが本番で野球部の顧問が、中学の頃の自分に見ていた野球の才能のことを、ずっと黙って伝えてくれていなかったことに対して「なんで言わなかったのか!それ知ってたら今ごろこんなじゃなかったのに!」とキレはじめて「お前、一生このこと、忘れんなよ!」と言って恨み、あんなに親しげだった先生を罵倒した時、すごく胸がスッとした。私もこの人だったらこの先生のことをこんな風に許せなかったと思う。ろくでなしにとっての、光る部分は、その辺にゴロゴロあるもんじゃなくて、見つけたら一生それを磨き続けて絶対に手放してはいけないような生命線になったりもするのだ。なめんな、先公!という気持ち、すごくよくわかる。と、思っている時点で、私も相当なワルなのではないだろうか。

森田さんの、演劇に関する知識量や経験も当然のことながらすごいのだけど、やはりあらゆる人を受け入れる容量がとてつもない。もはや意味不明な領域くらいのすごさ。貴重すぎて言っていることを漏らさず耳に収めたくてよくよく集中して聞いていたけど、意外とそうしていることは疲れるものですね、ということもわかった。自分の容量不足。そしてもう何年も参加している人はその辺の加減が適当でさすがだ。

そして本番が終わって、打ち上げ前に森田さんが出演者に講評を述べ始めたら、ずっと涙がつらつら流れてきて、でもそれは悲しいとかではなくて、色んな感情が一気に押し寄せた時の涙で、全く止まる気配がなかったし、何も口にしたくないし誰とも話せない状態だったので、一通り全部聞いてから乾杯のタイミングで外へ出た。自分でも意味がわからなかった。なぜ涙が止まらないのか。

たぶん理由はたくさんあって、全てをここでは記さないけれど、参加した4日間が濃かったことと、森田さん夫妻という組合せの奇跡的な感じとか、そのふたりの人柄に感動していたのと、集まってきている人たちのバラエティの豊かさであるとか、全員がこのやり方でここで演劇をやろうと思っていることであるとか、ずっと裏方で料理を作り続けている人たちのことであるとか、自分が参加して自分の中で起きたこととか、山下さんがここで20年前に経験したことをまた経験しに来ていてそのことを人に何とか伝えようとしていること、などなどの、それらが一気に津波のように押し寄せて、私は溺れ、涙が決壊したのだと思う。

神戸アートビレッジセンターを出るとムワッと暖かく、陽射しが明るくて、具合の悪そうなオッサンが、其処此処にいて、アーケードで寝ながらイビキをかいている人もいて、そこを延々と端っこまで歩いて、涙ドバドバ流しまくりながら歩いている私も、相当この新開地に馴染みまくっている登場人物のようなことになっているなあ、と思いながら公園で寝っ転がって、ゴロゴロして、自分の胸の中と話して、聞いて、確認出来たから立ち上がって会場へ戻った。

全てを終えて家路につく時、ものすごい疲労感だった。充実感がそこにあったかどうかすらわからない。楽しかった、とか言いたいけど、楽しかったとは違う気がする。もう一度あそこへ行って、また参加するのかどうか、まだ自分にはわからない。
なんなんだろう?という気持ち。その気持ちが参加した動機だったような気がしたけど、参加した後でも、なんなんだろう?という気持ちが一番大きい。
なんなんだろう?
あそこでああして20年間も続けてきていることとか、全然、意味がわからない。
飲食込みで2000円の参加費なのも、全く意味不明だ。
なんなんだろう。

森田さんが「演劇ってのは、人間って、いいなって思うものなわけだから、やっぱりそこは…」と話していたのを聞きながら、人間っていいな、と思うためだとしたら、これは参加する側にいた方がよりそのように強く思うかもしれないな、と思いながら耳を傾けていた。

公園で寝転がりながら、私は今まで評価を受けるようなこと(賛否どちらも)を、避けていたのかもしれない、と思った。そのことで揺れる自分が嫌だったから。揺れるということは、弱いということだ。誰に何と言われようと、貫けよ、という場面を避けたかったのだろう。このことを思った時にも『文學界7月号』の保坂和志さんの「彫られた文字」の中に出てくる保坂さんの奥さんの言葉「傲慢よね」が頭をよぎった。「評価なんてされなくていいんだ自分のために描いているから」という中年の画家風オッサンに対する辛辣な言葉なのだが、これは丸っと私にも当てはまると思った。評価そのものよりも、評価されることを恐れていたのだね。バカだなあ。誰がなんと言おうと、私のよい部分は消えてなくなりなどしないし、褒められたところで私は何も変わらないのに。誰かに何か言われてヨヨヨ…とヨロケてしまう自分が嫌だったんだろうな。ヨシヨシ。

最後の最後には
私には私がいるんだから
大丈夫。
というところ、つまり
赤塚不二夫のいう「これでいいのだ」になるのである。




「森田雄三の演劇ワークショップ」に参加して③

演じる 体験記
喫茶店を後にして、向かうと時間もいい頃合いになっていた。
会場に改めて入り受付を済ます。
飲みものを聞かれ紅茶を頂く。食べものも何か注文しようかな、と思いメニューを見ていると、あとで出されるテーブルにある食べものは、好きなように食べていい、と言われ、驚く。参加費2000円に飲食代が込みだと初めて知った。安すぎる。大丈夫なのか?全然意味がわからない。

どうやら、常連なのか、数人が1つのテーブルに集まっておしゃべりをしているようだった。
私は少し離れたところに座り、『文学界7月号』の保坂さんの「彫られた文字」を開いた。何度か読むけれど、いちいち面白い。

そうこうしていると、後ろの方で「おはようございまーす」「森田さん来ましたー」という声が聞こえたので、振り返ったら、車椅子に乗った森田さんがいた。森田さんについては、片脚を失っていたということすら知らなかったので、全く驚かなかったと言ったら嘘かもしれない。
ニコニコしながら、常連さんたちのテーブル近くで話し始める森田さん。
「あなた、そこにちょっと座っててみて、何もしなくていいから」と言われた人が、テーブルから通路を挟んだ向こう側に座る。
座って、みんなに見つめられると、その人の無意識が、じわっと表れてしまう。何かを隠そうとしていたらその隠そうとしている様子すら、表れてしまう。

それを見ながら、森田さんはじっと黙っている。しばらくしてから、あなた、○○ね。と、自分が見たままを伝える。そしていくつか質問をしたりする。その言葉は的を得ていたり得ていなかったりするのだが、今まで数え切れないほどの人を見てきた森田さんが言うことは、さすがに図星だったりもして、周りで見ている人も感心したりする、と同時に、私は恐ろしいところに来てしまった、と思った。丸裸にされるのだ。いや、自分の意思で来たんだし帰るのも自由だから「される」というのはおかしいかもしれないけれど、丸裸になりに来たつもりがあったわけでもないので、される、でやはり合っているのか。
丸裸って、面白いし気持ちいいのも知ってるけど、やはりコワイことだと思う。見ず知らずの人の前で。しかもアレコレ言われるのだから。見ている分には面白いけれど、自分もそうなるのかと思うと、ドヒャーと思う。でも実は全然こわくもなんともない私がいるのも、本当のことだった。
これって、今こうして書いていて思ったんだけど、もしかしたら実際の全裸体験が、このシチュエーションに活かされていたのかもしれない。1999年に皆既日食を見に行った時にハンガリーの田舎で、パーティが開かれ、参加していた私は、そこでシャワーを浴びるのに、全員が全裸で順番を待っていた。全然、なにも恥ずかしくないし、開放感に溢れ、日本のようにジロジロやらしい目で見る人もいなくて(たぶんそれは欧米人が多かったからだろう)心地よかったのだ。

とにかくまずは、丸裸にされるところから始まる。けど、そんなもん通過儀礼みたいなもので、そうやって自己受容さえしてしまえば、別になにも嫌でも怖くもないのだ。こんな風に書くと自己啓発セミナーぽいかな?でも現場は全然そうじゃない。だって、演劇をしようとしているわけだから。自分を知って、受け入れて、他人を見て、知ろうとする。そこから始まっていく。準備体操のようなものなのか。それにしては、結構、体力というか精神力がいるかもだけど。


「森田雄三の演劇ワークショップ」に参加して②

体験記 演じる 前置き
京都の自宅を出て2時間。
神戸の新開地に向かう。
電車で来て神戸に降りたのもほぼ初めてだし、新開地という場所がどんなところなのか全く知らない。
生まれは東京、育ちは仙台。5年前な越してくるまで関西圏に親戚も友人も全くおらず何の縁もなかったので、関西の土地勘がいまだに全くない。

11時過ぎに神戸アートビレッジセンターに着いたら、ほぼ誰もいなくてスタッフの人が準備をしている。あれれ?と思いながら、おそるおそる話しかけると、ワークショップは12時から、とのこと。知らなかった。完全に11時からだと思い込んでいた。仕方ない。外へ出て散歩。

新開地には、ゆるいハワイアンが流れていた。大衆演劇の劇場があり、小さな店は8割くらい呑み屋だ。喫茶店にでも入って、アイスティでも飲もうと歩くけど全く喫茶店がない。雨がポツポツ降り始めたので、もう諦めて戻ろうと思った時、一軒の喫茶店が目に付いた。カランとドアを開け入ってみると、客は1人もいないし、店内の空気が丸ごと完全にションベンくさい。マスターはレジのないレジ台で、小銭を数えていた。「12時までやけど、よろしいか?」と言われ「引き返すチャンス」と頭をかすめたが、こんなことでもなければ、絶対に入らないだろうと思い直し「大丈夫です」と言ってしまった私は、窓際の席についた。メニューを眺めると11時までモーニングセットを出していたようだ。11時までモーニングやってる店が12時に閉まるとか、そんなことあるんだ。私の知らない世界。アイスティを注文して、まあ、本でも読むかとテーブルに手をつくと、ペタペタしている。うう…と思い、少しもたれると、椅子の背もたれも、ペタペタしている。
運ばれたアイスティをチューと吸うと、鼻から嗅がれてしまうションベンくささと口の中で混ざり、アイスティがアイスティの味ではない。いやアイスティはアイスティの味なんだけど、鼻から入ってくるションベン臭がアイスティの邪魔をする。マスターはこの匂いに慣れ過ぎていてもう何も感じなくなっているのかな?スゲーな。と思いながら店内を眺める。
東京にいた時に、自然派育児系の有名な小児科医を訪ねていった時も、この匂いがしたなぁ、と思いながら、自分がアイスティを飲み終えてくれるのを待っていた。だけど、アイスティはなかなか飲み終えられない。こういう時に、鼻が敏感だと本当に辛い。中華屋のデザートを頼むと冷蔵庫の匂いがして食べられなかったりする。
半分くらい飲んだあたりで、私何してるんだろう?という気持ちがピークに達した。私の体は、アイスティなどもうどうでもよくて、一刻もこの匂いから抜け出したい!と私に訴えていた。
目の前に、半分も残したアイスティ。すまぬ、お主に非はない、さらば。と席を立ち、マスターにごちそうさまでしたと告げ小銭を渡し、店を出た。

長い。演劇ワークショップにたどり着くまでが異常に長い。もはや何を書こうとして書き始めたのかもわからないし、そもそもこの内容ではこのタイトルは間違いだ。しかし、まあ、このように始めてしまったので、とりあえずこのまま、また続けて書くことにする。


森田雄三の演劇ワークショップに参加して

演じる 体験記
6/30〜7/3の4日間、神戸アートビレッジセンターで開かれていた「森田雄三の演劇ワークショップ」に参加した。

描く、撮る、記すなど、いろいろな表現方法があるけれど、演じる、だけは今までずっと自分がやることとして興味を持ったことがなかった。

春にたまたま2016年三島賞の選考発表をYouTubeで見ていた。
町田康さんのことを面白いなあと思いながら見ていると何度も「蓮實さん、山下さんが今回」と言う。
その山下さん、て誰かな?でも知らないしなー私、小説家。と思いながら聞いていた。
その後に豊崎さんが山下澄人さん、とフルネームで言った時に、あれ?なんか…あれ?…聞いたことある気がする…と思って、調べたら、あ!あの時、100000tのカジさんが主催したトークショーで保坂和志さんと喋ってた、あの山下さんのことだったのか!と思って少し興奮した。そのトークショーのことを、だいぶ前にYouTubeで見ていたのだ。

そしたら、Facebookでカジさんがたまたま「いいね!」を押しましたというのが出てきて山下澄人さんの書いたものだったので、私も読んだ。

この数週間前に私は友人に誘われて、あるドキュメンタリー的な映画のイベントの手伝いをした。上映会、トークショーが終わってからの懇親会に料理のケータリングをした。当然、いつもギリギリな私は上映会にもトークショーにも参加できず、懇親会にのみの参加となった。
そこに集まった車椅子の方とその監督とのやりとり、対話の仕方を見ていて、私はモヤモヤして、少し離れたところで考えていた。監督のそのやりとりは、なんとなく流され、なんとなく違う人が話しかけたりして、なんとなく過ぎていっていた。けれど、私はさっきのモヤモヤが消えない。消えないどころかそのモヤモヤを見つめているうちに、モヤモヤがワナワナに変わり、気づけば奥歯を噛み締めて手はグーになっていた。
そして、監督が歓談しているところをぶった切って「あの!話の流れをぶった切って悪いんですけど、さっきの!あの!やりとり、おかしくないですか?何なんですか?」と啖呵を切っていた。
こうなったらもう止まらない。仕方ない。思っていることを黙ったままにしておけない私が走り始めてしまったら、もうそれは誰にも止められない。
てやんでえべらぼうめ!さっきから聞いてりゃあずいぶんな言いようじゃねえか!え?とは言わなかったけれど、怒るときの心中は江戸っ子みたいな感じになる。
そしてあーだこーだ言ったものの、その監督は最後の最後まで、自分の本音をきちんと見つめて、それを伝えようとすることはしなかった。
何のためのコミュニケーションなんだ!そんな面白おかしくしてやろうと思って人をかき乱すような言葉をわざと言うことをやり合うために私は対話してるんじゃない!人をバカにするんじゃねえやい!と最後まで納得がいかなかったけれど、まあ、そんなことがあった。
ね。手伝いで参加してんのにこれだから困ったもんだよね。でもやっぱり、クソにはクソだと言ってやらねばならない。

それで、この監督とのやり取りが最後まですごく嫌だった気持ちがどこかで吹っ切れないままでいるところで見たのが三島賞の発表で。そこで話している町田康さんが、自分の中の本音をちゃんと見て、それを伝える、状況を自分はどう見て、どう思って、結果はこうだった、ということを伝える。という、まあ考えてみりゃ当たり前のことなんだけど、それをとても清々しく思ったし、小気味よかった。やっぱそうだよね、言葉に向き合っている人たちの言葉は信頼できるなあと思いながら、半ば感動して見ていた。

そこに、その山下さん一致がキタので、興奮して、山下さんのFacebookに、とつとつと書かれている言葉を読んでいたら、涙がポロポロポロポロとこぼれた。
人とその人から出てくる言葉の関係を、見ていた。そのあまりにもの嘘がなさ、媚びなさ、を美しいと思った。
山下さんの発している言葉と、山下さんの関係が、自然で、美しかった。
なので私は一瞬で信頼してしまった。
しばらく、ほへーっとなって(ぷへーではない)、また、どんどん過去のを遡って読んだ。そこに出てきたのが、森田雄三さんという方のやっているワークショップが面白い、という内容で、しかも、私が小学生の頃に母とよく大爆笑しながら見ていたイッセー尾形の演出を長年やってきた人だ、とあったものだから、興味を持たない理由はなかった。

森田雄三さんは、普段は東京の世田谷で「楽ちん堂CAFE」ってのをやっていてそこでも演劇ワークショップは開かれているのだけど、私は京都に住んでいるので参加できないなあ、と思っていたけれど、山下さんが夏に神戸でもやるそうです、とお知らせ頂いていたので、とても楽しみで、絶対に参加するぞ、と思って待っていた。

というわけで、参加してきました。
前置きにしても、異常に長いのでこの辺にしておきます。