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「森田雄三の演劇ワークショップ」に参加して③

喫茶店を後にして、向かうと時間もいい頃合いになっていた。
会場に改めて入り受付を済ます。
飲みものを聞かれ紅茶を頂く。食べものも何か注文しようかな、と思いメニューを見ていると、あとで出されるテーブルにある食べものは、好きなように食べていい、と言われ、驚く。参加費2000円に飲食代が込みだと初めて知った。安すぎる。大丈夫なのか?全然意味がわからない。

どうやら、常連なのか、数人が1つのテーブルに集まっておしゃべりをしているようだった。
私は少し離れたところに座り、『文学界7月号』の保坂さんの「彫られた文字」を開いた。何度か読むけれど、いちいち面白い。

そうこうしていると、後ろの方で「おはようございまーす」「森田さん来ましたー」という声が聞こえたので、振り返ったら、車椅子に乗った森田さんがいた。森田さんについては、片脚を失っていたということすら知らなかったので、全く驚かなかったと言ったら嘘かもしれない。
ニコニコしながら、常連さんたちのテーブル近くで話し始める森田さん。
「あなた、そこにちょっと座っててみて、何もしなくていいから」と言われた人が、テーブルから通路を挟んだ向こう側に座る。
座って、みんなに見つめられると、その人の無意識が、じわっと表れてしまう。何かを隠そうとしていたらその隠そうとしている様子すら、表れてしまう。

それを見ながら、森田さんはじっと黙っている。しばらくしてから、あなた、○○ね。と、自分が見たままを伝える。そしていくつか質問をしたりする。その言葉は的を得ていたり得ていなかったりするのだが、今まで数え切れないほどの人を見てきた森田さんが言うことは、さすがに図星だったりもして、周りで見ている人も感心したりする、と同時に、私は恐ろしいところに来てしまった、と思った。丸裸にされるのだ。いや、自分の意思で来たんだし帰るのも自由だから「される」というのはおかしいかもしれないけれど、丸裸になりに来たつもりがあったわけでもないので、される、でやはり合っているのか。
丸裸って、面白いし気持ちいいのも知ってるけど、やはりコワイことだと思う。見ず知らずの人の前で。しかもアレコレ言われるのだから。見ている分には面白いけれど、自分もそうなるのかと思うと、ドヒャーと思う。でも実は全然こわくもなんともない私がいるのも、本当のことだった。
これって、今こうして書いていて思ったんだけど、もしかしたら実際の全裸体験が、このシチュエーションに活かされていたのかもしれない。1999年に皆既日食を見に行った時にハンガリーの田舎で、パーティが開かれ、参加していた私は、そこでシャワーを浴びるのに、全員が全裸で順番を待っていた。全然、なにも恥ずかしくないし、開放感に溢れ、日本のようにジロジロやらしい目で見る人もいなくて(たぶんそれは欧米人が多かったからだろう)心地よかったのだ。

とにかくまずは、丸裸にされるところから始まる。けど、そんなもん通過儀礼みたいなもので、そうやって自己受容さえしてしまえば、別になにも嫌でも怖くもないのだ。こんな風に書くと自己啓発セミナーぽいかな?でも現場は全然そうじゃない。だって、演劇をしようとしているわけだから。自分を知って、受け入れて、他人を見て、知ろうとする。そこから始まっていく。準備体操のようなものなのか。それにしては、結構、体力というか精神力がいるかもだけど。