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森田雄三の演劇ワークショップ神戸のフツーの人たち公演『どケチのど愛』に参加して⑤

演じる 体験記

朝、目が覚めたら四時五十四分だった。

いくらなんでも早すぎるので布団でゴロゴロしていたら、ウトウトしかけてまた目が覚めた。ボンヤリしていたら、こんな風に私のやりたいことを抑圧せずに、むしろ応援してくれている夫の存在が、ものすごくありがたく感じて、あらやだ、私、いつもこうしてサポート受けてきた、と気づき、愛されてる気がした。いつでも、とてつもない優しさに支えられているなあ、と。そしたら、また急に布団が柔らかくて、温かくて、心地よくて、そのことが有り難くって、涙が出てきたら止まらなくなって、もうこの体に私の意識が入って存在していることが嬉しくて、布団が柔らかくて温かくて、号泣していた。嗚咽していた。仮眠室なので、声を上げるわけにはいかなかったけど、布団を頭からかぶって、おいおい泣いた。泣いたら疲れたので、また少し眠りたかったけれど、お風呂にも入りたかったので、起きてお風呂に入り、身支度を整えた。

今日は神戸文化ホール中ホールで、公演。

着くと、すでに楽屋は宴会かのように温まっていて、差し入れをつまんだり、人がワサワサしていた。どうやら別室で、稽古も始まっているようだった。

衣装に着替える。もしかしたらパジャマで避難生活してた人もいたかも、と思って、パジャマのズボンを履くことにしたら上がボーダーの長袖Tシャツだったので、チェックにシマシマという突飛で間抜けな組み合わせになったけど、なんとなく、私の役に、合う気がして、しっくりきた。

参加者に、今日初めて来ました、という人も今日は来ませんという人もいたので、冒頭のシーンのセリフの順番とかを変更して確認した。ついでに、ずっと口に馴染まなかった長いセリフを、私も変更することにした。短くなっただけで少しホッとする。

一つ前の日記に、セリフを覚えられないと書いた。その言葉そのものを覚えられないのではなくて、その言葉を覚えることはできても、意識が全部「覚える」に持っていかれるので、そのセリフがもぬけの殻になってしまうのだ。なので、私はセリフを覚えて言う、が出来ないのだとわかった。それが、徹底的に、できない人なのだ。知ってる。今までだって、いつでも一個のことしかできないで生きてきたから。

それで、稽古中の楽屋に入ると、空気がものすごくピリピリっとしていて、やばかった。や〜、これはマズイな、という予感しかしなかった。なんとかフラットに戻そうと自分で意識してみてもダメだった。雄三さんの顔を見ても怖いだけだった。やーこれどうしよう出て行こうかな、と思うくらいだった。そうこうしているうちに、順番が来て、はい、言って自分のセリフ、と言われて立った時に、あーもうダメだ、と思ったら案の定「全然ダメ」って言われて、なんかよくわからないけど「あなたへたっぴなのに、その下手さを人のせいにして、だから嫌われるのよ」とか言われ、全く意味不明でピンとこないけど苦笑するしかなくて、でも実際ダメだったので、仕方なかった。この時のこの部屋の空気は「不穏」としか言いようがなかった。で、程なく、休憩ねって解散したんだけど、もう全然ダメで気持ちがどん底行きの特急に乗ってしまっていた。

私は何でも真に受けるし、人の言葉が予想外に響く。

この時の脳内は「私はダメだ。やっぱりダメだ。」がエンドレスでリピートし、エコーがかかっていた。とにかく逃げたかったし、向いてないし、どうしてこんなとこに来ちゃったんだろう、もう絶対にやめるし、これで最後にしよう。と固く決心した。

発達障害という言葉は最近よく聞くようになったけど、自分が子供の頃には、その言葉はなかったので発達障害の人もいなかった。だから、私は、ずっと自分は普通だと思って生きてきた。でも、その最近よく聞く「発達障害」の本をちょっと見たら、私のことが丸ごと書いてあった。それでもしばらくは「発達障害の人」になると差別されたり偏見を持たれるかもと思って、ずっと自分でそのことを認めないと決めて生きてきた。だけど、やっぱり理解されにくくてしんどい時に、その言葉を出すと、少し伝わることもあるので、時々、そうなんです、って言ったりもするようになった。人は誰でも大なり小なりそういう傾向があって、それによってどれだけ困りごとがあるかどうかで申告したりしなかったりしているだけだと思う。

演劇って私みたいな発達障害の人には、向かない、ってこのときすごく強く思った。

状況としてしんどすぎるから。「ダメ」に弱い。ダメな自分を知りすぎているから。死にたくなるところまで行った。ダメだ、できない、死にたい。自分で足を運んで参加しているのに、こういう状態になる。やばい、なんとかしなくちゃ、これから本番なのに。

とにかく自分をリラックスさせるためにゴロゴロして、脳内の自己否定を治めたかったのに全然できなくて泣いた。もちろん誰とも話せないし、誰とも話したくないし、全てを放り投げて帰りたかったけど、そんなこと、自分にはできないのもわかっていたから、もう絶対これで最後だと言い聞かせて、なんとか頑張って、自分を本番に向かわせようとしていた。怖い、大丈夫、死ぬよりマシ、死んだほうが楽かも、どうしてこんなことしているの?しんどいなら辞めたらいいのに、やだ、帰る、大丈夫。

そんな風に一人で格闘しててもお腹は減る。楽屋で、差し入れのお弁当を無言で食べる。食べても、全然、ダメなままだった。本番までかなり時間があったのに、ずっとそうやってまた脳内の「ダメ」と闘っては泣いた。

いよいよ時間が来た。客入り始まりましたーと言われ、ああもうダメだ何もかもどうにもできない、と立ち上がって振り返ると、雄三さんがそこにいて「あなたは十五〜六才なのね、不思議なものを見ちゃうの、それそのままでいいから、声も張ろうとしなくていいから。」と声をかけてくれた。そうか私は十五〜六才で、ふわふわしてて、不思議なものを見ちゃう人なのか、声は張らなくていい。この瞬間に、脳内の「ダメだ」が切り替わった。はい、ありがとうございます、と言って、ぞろぞろと舞台裏に向かう人たちについて行った。