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秋の読書欲、山下澄人「しんせかい」保坂和志「地鳴き、小鳥みたいな」

2週間くらい前に本をたくさん買って読みたくなったので、丸善に行った。7冊買い、読みたいのに読めないからその紙袋ごと、どこへ行くにも持ち歩いていたけれど、あまりにも重いので1週間後には2冊を家に置いて出かけた。それでまた1冊置いて歩くようになり、3日前から2冊だけになった。それで今日やっと1冊読み終えたので、明日からは1冊持ち歩くつもりだけどもしかしたら置いておいた本からまた持ち歩く組になってしまう本ができるかもしれない。そもそも家に読みたくて買って数年から数ヶ月経っても読まないである本は沢山あるのだけど、そこからではなくて、たくさん買って読みたくなったので、たくさん買うところからやりたいことだったので、仕方ない。お金持ちではないのに私はワガママなのでたぶん家族は困っているというか慣れているかもしれないけれど、買った。
それで、今日読み終えた本を読んだ人がどこかで、めっちゃ泣くやつ、と書いてあったのだけど、私は1ミリも涙を流さずむしろ最後の方では笑ってしまったりしていたので、何かどこかおかしいのかもしれないと思いつつ、読み終えたので、爽快だ。
山下澄人さんの「しんせかい」は、ずうっと山下さんの声で頭の中に流れた。だからかもしれないけれど、泣かなかったというか、泣いた人はどこらへんで泣いたのかな、と片隅で思いながら読んだけど全くどこで泣いたのかわからなかった。今度会ったら聞いてみよう。誰だったか忘れたけれど。
それで、もう一冊持ち歩いているのは、保坂和志さんの「地鳴き、小鳥みたいな」なのだけど、この後もしかしたら買って置いてきた組の「壁抜けの谷」を読みたいかもしれないし、まだわからないけれど、保坂和志さんのこの「地鳴き、小鳥みたいな」は、初めの「夏、訃報、純愛」の書き始めに「八月十七日だった」とあって、どの本を買うか迷っている時にたまたま開いたらこのページで、買うことに決めたのは、その日は私の誕生日だからだった。
そのことをここにこうして書いたので、この本を買って持っていて私のこの文を読んだ人は、たぶん私の誕生日を覚えてしまうだろう。覚えないか。でもたぶんいつかまたどこかで読んだ時に、あ、これ誰かが誕生日だったと書いてあったな、くらいには思い出すかもしれない。
その時に、私だ、と目の前に現れられたら良いのに。f:id:add-coco:20161116215832j:imagef:id:add-coco:20161116215838j:image