不思議うまれ人間そだち

林 葉月が見た世界、描き記す絵と言葉

ことばがつまっていた

去年、NYに母と旅をしてあまりにもたくさんのことを感じたり

その後も自分に変化が起き続けたことで

感じたことや考えたこと、想いを

ことばに紡いだり

色や形に表したりということができなくなっていた。

 

NYに行く計画を立てて、みんなにも応援してもらっていたのに

その報告もブログに書くことができなかったり

帰ってから描く約束の絵を仕上げるのも1年以上かかってしまった。

 

何か大きな出来事や変化の最中にある時

自分の感じていることがたくさんありすぎて

アウトプットが全く追いつかないどころか

停止してしまうことがある。

 

伝えたい想いが消えたわけでもなく

ただただ、できなくなる。

 

自分にとって大切なことや

核心に触れるような出来事であればあるほど

そうなってしまう傾向があるように思う。

 

そんな時にできることは

そんな風になっている自分を

極力、責めないようにすることだ。

 

あれもこれもやろうと思っていたのに

できない

できないできないできない

ここで、自分を叱責すると

ますますできなくなる。

なんて自分はダメなんだろうって

思いつめたりすることは

簡単だ。

だけど、こうなってしまったのも仕方ない

無理ない

だって、自分にとってどうでもいいことではないのだから。

適当に、やっつけてしまわないことのほうが

ずっと大事だと思う。

 

 

昨日、誕生日を迎えて

朝から小沢健二の「神秘的」という曲をiPhoneからではなく

ちょっといいスピーカーからかけて聴いていたら

やっぱり、とても良くて

魔法的ツアー以降の新曲群や声の出し方、歌い方、音の繊細さとダイナミズムがそこに放たれていて。

 

だけど一番大切なのは小沢くんが本気で真剣に全力で生きてることが伝わってくることだな

と思った。

 

真摯に生きて、思いっきり全力で真剣に本気で放たれた表現というのは

他者に力を与え得る。

人を元気にしたりする。

 

そんなことを感じて

誕生日という節目に

そうだ、よし、表わそう、伝えよう

と踏ん切ることができる状態になったのだろう

こうして書いている。

 

そしていつも不思議だなって思うのは

ことばで表現することに詰まりを感じたら

手を動かして何も考えずに絵を描くことで

そのあとことばがスルスルと表れ始める。

逆に、絵が描けないって時には

歌ったり、踊ったり、言葉を紡いだりしているうちに

どこかがほどけて、無心に描けたりする。

 

その、歌ったり踊ったりとか

やりたいこと、やろうと直接思っているようなことじゃないことを

している時も

実は、やっているのだな、と思う。

 

私たちは全身で、感じて、全身で考えているのだから。

 

ただ、ぼんやりと何もしていないように見えるときも

 

私は、絵を描いているのです。

私は、言葉を紡いでいるのです。

私は、歌を歌っているのです。

私は、踊っているのです。

 

何もしていない人の言い訳にしか聞こえないかもしれないけど

けっこう、本当のことだと思っています。

 

自分を裁かず、ただただ、自分であり続けるという選択というのは

それだけで創造的なことだと思っています。

 

何もしていなかったことって

なかなか今までなかったし

何もしないでいることって

実はなかなかむずかしいことでもあると

思っています。

 

つい、何かしら責めてしまったりするしね。

 

というわけで、ちょっと長くなったけれど

やりたいことや、やろうと思っていたこと、いることは

山のようにあるので

これから思いっきり描き出していこうと思っています。

 

どうぞよろしく。

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