不思議うまれ人間そだち

林 葉月が見た世界、描き記す絵と言葉

あの時のことを振り返って

とても久しぶりに書こうと思い立ちました。

 


2018年に母と二人でNYに行った時のことを本当はオンタイムで現地から報告したり

絵を描いたりしながら旅をするつもりでいました。

 


だけど、いざ行ってみたら、そういったアウトプットが本当に一切できなくて

街のあちこちで描いたりすることも、宿で言葉を綴ることも一切できなかった。

 


見たこと感じたことを現場から即アウトプットしながら旅をする人もいるじゃないですか。

私もそういうのやってみよう!楽しそう!って思ったんですけど

現場で起きる出来事に対応したり、見て感じることに全力を注いぐあまり

毎日があっという間でへとへとになって眠るという旅の日々でした。

母と一緒に行った旅だったからというのももちろん影響しているとは思うけれど

その後の激流となっていく流れの原点になるような混沌がそこにはありました。

 


こうして振り返って考えてみたら昔からそうだった。

起きた出来事を消化するのにものすごく時間がかかるタイプ。

消化する時間を必要とするということを無理して消化不良のまま出したりできない。

ちゃんと自分なりの本当のことを自分の言葉で伝えたいからなんだと思います。

 


きっともっと器用に感じたこと考えたことを即表現していける人もいるんだとは思うけど

自分はそうじゃなかった、ということが

ものすごくよくわかる旅でした。

 


あんなに沢山の人に応援してもらったのに

自分が思い描いたような現地からの表現や発信ができなかったことで

自分自身がものすごくガッカリしたし、応援して注目してくれていた人にもガッカリさせただろうな、という気持ちもあったし

申し訳ないような気持ちと、これで精一杯だという現実と

刺激的な日々と、自分自身に起きた変容と

そんな全ての只中で、ちゃんと全てを感じておきたいというような想いと。

 


しばらく放置しておいたことで言葉がつまっていた

ということは、去年、一度書いてはいたけれど

その後も全く書けていなかったのは

まだまだ時間が必要だったのかもしれない。

 


発酵というか、熟成というか。

 


そうしているうちに

本当にNY旅のことだけじゃなく

こういったちょっとした文章が全く書けなくなっていて

言葉の回路が詰まりまくっていたってことに

昨日さっちゃんの誕生月タロットセッションを受けてやっと気づいて。

祥子の部屋 on Strikingly

 

あのときのNY旅の話を書かないことには

どうやら言葉の回路の詰まりはとれないようだと悟り


そうか、あの旅以降の人生の激流も少しは落ち着いてきたし

書きたい気持ちもずっとあったしいっぱいあるし

と思って、書きました。

 


本当にたくさん書きたいことはあるので、追いつくかな?という気もするけど

こうして少しずつ書いていこうと思います。

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