不思議うまれ人間そだち

林 葉月が見た世界、描き記す絵と言葉

NY2日目

ぐっすり熟睡して起きたら湿度の低い晴天だった。

どこに旅行する時もそうだけど、近所の地元の市場やスーパーに行くのが大好きだ。

今回泊まったホテルから歩いていけるところにユダヤ系のスーパー「ZABAR’S」があることをチェックしていたので

そこで何か買って、近くのセントラルパークでピクニックしよう、ということになった。

散歩がてら母と歩いて向かう。

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貫禄のあるでもどこかPOPな店構えのZABER’S

チーズの種類がたくさんあることや価格が日本と比べて安いこと

オーガニックのドライフルーツやさまざまなお惣菜ジャム類などに興奮して

しばらく店内をうろついてからほうれん草のサラダとアスパラガスのお惣菜に生ラズベリーとベーグルを買って、また歩いてセントラルパークへ。

それにしても物価が高い。

お惣菜二種類少しずつ盛り合わせただけでも18ドル。ユダヤ系のスーパーで戒律に従った食材を提供しているからなのかもしれないが

ちょっと日本では考えられないくらいの値段だ。

 

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晴れていて空気がカラッとしていて、とても気持ちがいい。

まだNYの空気に慣れていなくて緊張感があるけど

母との海外旅行自体が高校生以来なので二十年ぶりなのもあって

なんだか不思議な気分。

 


5歳の頃に母に連れられてきたセントラルパークにまたこうして足を踏み入れることも

すごく不思議な気持ちになった。

いろんなことを思い出す。

当時のセントラルパークで横幅のすごく広いテンレス製の銀色に光った滑り台を黒人の同じくらいの子達といっしょに滑ったこととか

自転車で来た母の友人たちと芝生に寝そべって夏の日差しの下で日光浴したことなど。

近くに噴水があったなとか。そんな風景。

 

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セントラルパークに来ると今回もまたリスがいる。

公園にリスがいるなんて!と当時も驚き目を丸くしていたことも思い出す。

 


私たちが来た1981年ごろのNYはまだ全然不況で、治安も悪くて、母と私と二人とも緊張感があって

確かに夜のセントラルパーク沿いの道とか不穏な空気もあった気がする。

 


ある日、母と母の友人と喫茶店でお茶をして喋っていたら

突然、黒人の青年が走って来て、目の前にドサっと服の山を乗せて

この中で欲しい服を取れ、そして5ドルくれと言われたらしい。

私はただぼーっと見ていたけど、母がタンクトップを1枚選び5ドル渡すと青年はまた服の山を持って猛ダッシュで走って去っていった。

私たちは何が起きたのかよくわからなくて呆然としていると、そのあとを追って誰か来て何か言って追いかけていった。

母たちの話によると、コインランドリーから服を盗んで行った青年のようだった。

そんなこと、あるんだ。。。と幼心に思った。

 


そしてその母が選んだタンクトップは見たら穴を刺繍でふさいであるような中古服だったけど

なぜか母は気に入ってしばらく着ていた。それを大きくなった私も着たりして

なんと、今もまだ持っている。

 

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断捨離や数々の引っ越しをくぐり抜けてサバイブしたタンクトップは当然ボロくなっているのだが

思い出と共にあるので、なぜか捨てられないでいる。

 


話がタイムスリップしたけど、私と母はセントラルパークでしばしブランチと日光を楽しみ

また散歩した。

ジョンレノンが最後に住んでいたダコタハウスも歩いていける距離だから行ってみようということになって向かう。

 


行ってみるとダコタハウスはすごくシックで、門はそれほど高くなった。

5歳の時も母に連れられてダコタハウスを訪ねて来ている。

 

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幼少の頃、母が仕事から帰ってくるなり二階へと駆け上がって泣きじゃくったことがあった。

どうしたんだろうな?と思って声をかけると「ジョンレノンが、死んじゃった」と言っていたのは覚えていた。

私と母がNYへ来たのはその翌年のことだった。大きな鉄製の門には花やカードがたくさん差し込まれており

写真を撮ったり泣いたりしている人もいた。

 

そんな頃のダコタハウスの記憶があったので2018年のダコタハウスはとてもこざっぱりしている様に感じたし

私が成長しているので門の大きさも「こんなもんだっけ?」という感じがした。

それでも、ここでジョンが撃たれたのか、という悲痛な気持ちがあった。

あれから世界はどう変わっただろう、人々のラブアンドピースな願いはどうなったかな、と思う。


その後、せっかくだからジョンレノンを記念したコーナーがあるというセントラルパークのストロベリーフィールズと呼ばれる一角へ向かう。

IMAGINEのメモリアルには献花がされていて、側で流しのギター弾きが歌っていたけれど

たいして上手でもなく商売っ気の様なものを感じてしまって少し白けてしまった。

結局人の死も観光地化されていくのかって感じがして。

 

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ぼちぼち歩いてホテルに荷物を受け取りに行って

ORESTAさんの住むWASSAICへと向かうためにまずは地下鉄でグランドセントラルへ。

 

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ここがグランドセントラル。実は密かに少しだけ鉄道好きなので、異国の鉄道で移動というだけでちょっとグッとくるし

このグランドセントラル駅は大きくていかにもアメリカいかにもNYという感じがしてドキドキした。

完全におのぼりさんて感じで、母なんか保安官がいかにもアメリカだから一緒に記念撮影したいとまで言うので

撮ってあげたりした。

切符の仕組みとかよくわからないので聞いたりしながらなんとか切符をゲット。

いよいよ2時間北上する。

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車窓から牧場の様なものが見えた。黒い牛がいる。

疲れたのか母は寝たりしていたが私は興奮して窓の外を眺めながら荷物番をする。

どんどん自然が豊かになっていく。

 

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とうとう次だ。ドキドキする。前の日の夜に電話しておいたので迎えに来てくれることになっていたが

ORESTAさんは母より年上で80歳を超えている。大丈夫かな、待ち合わせの駅や時間は合ってるかなとドキドキしながら窓の外をじっと見る。

 


WASSAICの駅に差し掛かると窓から見えるホームに白髪の髪の長い女性が紫色の花束を抱えて立っているのが見えた!

 


ORESTAさんだ!

と母に告げ、二人で降りる。


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うまく言葉にできないが、母とORESTAさんは35年ぶりの再会に興奮し、でも大袈裟すぎない感じで喜び合っていた。

この瞬間に、立ち会えてよかった、と思った。

全員が涙を滲ませながら、颯爽と歩き、ORESTAさんの車に乗せてもらった。

 


すごく美しい花を庭からとってきたの、宏子のために、と紫色の束を抱えるORESTAさんは、とても美しかったし

何も変わっていない感じがした。

35年前に会った時も、颯爽としてして、ロマンチックな考えの持ち主で、凛としていて、すごく素敵だった。

 


再会に興奮した私たちは車内で、相変わらず辿々しい英語でもって私たちはなんとかいろんなことを伝えようとして

ORESTAさんは私たちにわかるようにゆっくりと簡単な単語を使って話してくれる。

田舎の真っ直ぐな一本道をORESTAさんは喋りながら運転する。

 


そして、ウーーウーーと背後から嫌な音がした。

 


興奮して話していたせいでスピードオーバーになりたまたまいたパトカーに見つかって切符を切られてしまった。

なんてこった!と言いながらも、ゆっくり安全運転ね、と言って家まで運転してくれた。

 


ORESTAさんのボーイフレンドの家に滞在できるから、そこに行くからね、と。

 


到着し、とにかく疲れているでしょうから、ということで

用意してくれた食事をご馳走になって少しおしゃべりをして

喜びの中にいた。

 


アトリエに改装しようとしてるんだけど追いつかなくて

という二階に用意してくれたベッドで眠りについた。